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ウェーバー「国民国家と経済政策」[1895=1965]

 

まえがき

・「わたくしが以下に掲げる論述を公刊しようと思いたったのは、私の講演が、それを聴いた多くの人から賛同を得たからではなくて、反対を受けたからである。」(5)

 

ドイツ帝国の東部辺境:西プロイセン州の実状

 

◆州における三種類の対立(6-7)

@耕地の地味のひじょうな差異

A土地を耕す住民の社会層の対立

「村」対「領主地区域(ユンカーの住まい)における農場日雇い労働者」

B民族の対立:ドイツ人とポーランド人。この対立は宗派の対立とも一致する。ドイツ人は新教徒、ポーランド人はカトリック教徒である。

→ポーランド人は、国境付近に多く住み、土地の地味が痩せているところに多い。また、地味の肥えているところでは、領主地の日雇い労働者にポーランド人が多く、村落にドイツ人が多い。したがって、「ポーランド人には経済的にも社会的にもいちばん低い住民層のところへ集まってくる傾向がある」(7)

→ドイツ人が、それぞれの地域で文化の担い手となっている。優良地における自由な生活、痩せた土地における合理的経営。

 

 

領主地

村落

優良地

ポーランド人

ドイツ人

劣等地

ドイツ人          

ポーランド人

 

・「この二つの民族は心理上・肉体上の人種的資質の点でそれぞれ違っているために、経済的・社会的な様々な生活条件に対して違った適応力をもっている」(8)

 

◆西プロイセン州における人口の動向

1880-1885年の間に、1.25%減った。その理由は、農産物の価格下落を受けて、最劣等地の人々が食ってゆけなくなったから、ではない。(9)

→優良地における日雇い労働者が減り、逆に劣等地では農民が増えている。(9-10)

→「文化水準の高い地域から立ち去っていくのは主としてドイツ人の農場日雇い労働者であり、文化水準の低い地域で増えているのは、主としてポーランド人の農民です。」(10)これは同じ一つの原因から起きている。「スラヴ人種は、天賦の資質によるのか、それとも彼らの過去の歴史のなかでそのように仕込まれたのかはともかくとして、暮らしに対する要求水準が、物質面でも精神面でもドイツ人よりも低く、そのために彼らは勝つことになったのです。」(10-11)

□ここでスラヴ人種の文化性が「原因」であるということは、この文化性をある程度まで不変のものとみなす、ということになる。

 

◆自由の魔力:優良地の農場日雇い労働者が故郷を捨てる理由

・「農場日雇い労働者は、領主地の群に取り囲まれているような故郷にいる限り、旦那の召使いとしてよりほかには、生きる道がないし、また、自分たちの子孫の行く末を考えてみても、子孫はお屋敷の鐘の音につれて他人様の土地で働くだろうとしか思えないこと、これがその理由です。彼らを駆り立てる衝動は、……その中には素朴な理想主義の一つの契機がひそんでいます。」→《自由の魔力》(11)

◆ポーランド人の季節労働者の影響

・彼らは、遊牧民のように、春になると国境を越えて入ってきて、秋になるとまた引き上げていく。彼ら外国人を雇うと、労働者用の住宅の心配はいらないし、救貧費の負担も免れる。(12)

・領主地では、家父長として振る舞っていた領主にとって代わって、一種の実業家層があらわれてきている。土地貴族は、衰退している。

 

◆経済闘争におけるポーランド人の勝利

・ポーランド人の農民は、経済的な知性の点でも資本力の点でもすぐれていないが、このことこそ、彼らの勝利の原因である。「市場の不首尾のために脅かされることのいちばん少ないのは誰かというと、それは、自分の生産物を価格の暴落から受ける痛手がいちばん少なくてすむような場所にもっていく人、つまり自分の胃へ運ぶ人──自家需要のために生産する人です。」

→これは一種の淘汰過程であるようにみえる。二つの民族は同じような生理的・心理的性質を持つようになったのではなく、適応力の大きい方の民族が勝ったのである。淘汰の結果は、高度の素質をもっている民族のほうに軍配が上がるとは限らない。(13)

・「経済発展の点では劣ったほうの民族を勝利に導いている原因は、農業の経営形態が変わったこと、そして農業が深刻な危機に見舞われていることです。」(14)

 

 

国家主義政策

 

◆ドイツ国民の立場から当然出てくる二つの要求

@東部国境を閉鎖せよ。

・これはビスマルク侯のもとでは実現されていたが、彼の引退後、1890年に再び解除された。この「経済政策の転換の原因は、国勢の舵を取る人物が力強い男からそれよりも力の弱い男に変わったことでした。」

bアこで因果帰属に「力強い/弱い」という評価が入っていることに注意。

A国家の手で土地を組織的に買い上げよ。すなわち、王領地を拡大し、そこにドイツ農民を植民せよ、という要求。(15)

 

◆国家政策の基準と経済政策の基準

・「われわれは東部のドイツ人の現状をみて、彼らを護らねばならないと思い、彼らを護るためには国家の経済政策にも訴えねばならないと考えるという事実、わたくしはむしろこうした事実を手がかりとして、話を進めたいと思います。まことに、われわれの国が一個の国民国家であるからこそ、右のような要求をする権利があると、私たちは感じるのです。」(16)

bアこでは、人々の漠然とした価値評価なり感情を「事実」として手がかりにすると述べている。

・次のような別の立場がある。国民主義的な価値判断は偏見であり、経済政策には別の固有の基準がある、という立場である。

→ではこの「固有の」基準とは何か。通俗的な考えでは、世界を幸福にするために「人生の快楽の貸借対照表」の黒字を大きくすることである。しかしそのような幸福主義は、現実の権力政治をわがものとすることはできない。(16-7)


 

◆政策のもつ「意味」に訴える

・「われわれの事業に意味を失わせたくないならば、その事業を未来のため、すなわちわれわれの子孫のための配慮として行うほかありません。……われわれ自身の世代が墓場に入った後のことを考える際に、われわれが心を揺さぶられる問いは、未来の人間がどのような暮らしをするかということではなくて、どのような人間であるかということですが、これこそはまさしく経済政策上のすべての事業の根底に横たわっている問いでもあるのです。われわれは、未来の人々の無事息災を請い願うのではなくて、人間としての偉大さや気高さを形作るとわれわれに感じられるような資質を、彼らのうちに育て上げたいと思います。」(17)

□ここでは、「意味を失わせたくないというわれわれの欲求」が、「より崇高な意味」を求めるように導き、その「意味」とは「未来の崇高な人格性」であるとされている。

 

◆未来の世代の祖となること

・「もしわれわれが幾千年の後に墓場からよみがえることができるならば、そのときわれわれが未来の人々の顔のうちに探し求めるものは、遥かなる時を隔てて残っている、われわれ自身の特質の痕跡でありましょう。……われわれの理想を未来に押しつけたいと望むことは不可能です。しかし、未来の人々が、われわれの特質をみて、これこそ自分たちの祖先の特質だと認めるようになること、これは我々が望んで叶うことです。われわれはわれわれの仕事と特性とによって、未来の世代の祖になりたいと思います。」(17-8)

 

◆政治科学の狙い:国家主義政策

・「われわれが子孫に餞(はなむ)けとして贈らなければならないのは、平和や人間の幸福ではなくして、われわれの国民的な特質を護りぬき、いっそう発展させるための永遠の闘いです。」(18)

・「われわれは子孫のために歴史に対して責任を負っていますが、その際いちばん肝心な点は、どのような種類の経済組織を彼らに伝えるかということではなくて、地球上でどれほどの権力的支配圏をかちとって、彼らに遺してやれるかということであります。」

・「この科学は政治の侍女です。しかし、たまたまそのときに支配権を握っている独裁者や階級がおこなう当面の政策に仕えるのではなくて、国民の永続的な権力的価値関心に使える侍女なのです。」

・「その究極的な価値基準は『国策』です。……究極的・決定的な裁決を与えるのは、ドイツ国民とその担い手であるドイツ国民国家との、経済的および政治的な権力的価値関心でなければならない、という要求です。」(19)

 

◆価値判断の明確化

・「現状においては、判断を下す当人が、自分の判断の究極にある主観的な核心を、すなわち自分の観察した過程に対して一定の判断を下す源泉であるところの理想を、他人にも自分にもはっきりさせることが、通常のしきたりではなくて、ほとんど例外だ、といってよいくらいなのです。このようであるのは、意識的な自己統御が欠けていて、判断のうちに含まれた矛盾が、著者の意識にのぼっていないのです。」(20)

・一つの特殊な幻想:「自分の意識的な価値判断というものを、一般にしないでもやっていけるという幻想」(21)


◆二つの異なる問題の立て方

@上から経済発展を見おろす立場。大ドイツ諸邦の立場から、ドイツ国民文化を育成する。→国境封鎖をすべき。

A下から経済発展を考察する立場。上昇しつつある階級の解放戦線がどのように立ちあらわれてくるかを観察する。

→上昇しつつある階級の発展に有利なように歴史をみる。「階級間の力関係の右のような発展の中に、それに逆らうような事象がでてくると、歴史家はそのものをば、自分でも気づかぬうちにある種の敵意をもって眺めます。……いわば彼が定式化した『歴史の審判』に対する反逆のように思えてくるのです。……批判が最も必要なちょうどその時に、われわれは批判力を失ってしまっていることになります。」(22)

 

◆経済的国民主義者の最高基準:政治的成熟

・われわれは、経済的な権力闘争の勝者のお供になって、そのあとについてゆきたくなる。しかし経済的な力と国民を政治的に指導する使命とはいつも一致するとは限らない。政治的な価値基準は、国民の指導権を握ろうとしている階級の「政治的成熟」である。(22)

 

 

 

ドイツの特殊事情と国民国家主義の課題

 

◆ドイツの政治状況の特殊性

・「イギリス国民の場合には、国民の経済的繁栄がその国のもつ権力の程度に依存していることが、日常的に分かるのですが、そのことが日々の経験では分からない国民にあっては、この、すぐれて政治的な関心に対する本能は、日々の日常生活の辛苦と闘わねばならない広範な国民大衆の心には宿っていない。……彼らのその本能を求めるのは不当である。」(23)

・戦争の時はともかく、「無事平穏の時期においては、このような政治的本能は大衆の意識化にのぼることなく、識閾下に沈んでいます。このような時期において政治感覚の担い手であることが、経済的および政治的な指導者層に特有の職務であって、政治的な視点からいうと、それこそが指導的階層のただ一つの存在理由です。」

・経済的に没落しつつある階級(ユンカー)が政治の支配圏を握っているのは危険であるが、しかしそれ以上に危険なのは、「経済的な力が、ある階級のほうへ移ってゆき、それとともに、その階級には政治の支配権を握る見込みが開けてきているにもかかわらず、その階級が国家を指導できるほどには政治的に成熟していない状態です。」

→この二重の危険な事態が現在のドイツを脅かしている。

 

◆ドイツ・ブルジョアジーの現状:ロマン主義から醒めた政治的未成熟状態

・「ユンカーのあの政治的職務は、いったいどのようなひとびとの手に受け継がれようとしているのでしょうか。」(25)

・「果たしてドイツのブルジョアジーは現在、国民を政治的に指導する階級であるといえるほどに成熟しているのか」→ノー。

・ドイツを立国したのはビスマルクであるが、彼はユンカーの出身であって、ブルジョアの出身ではない。

→「国民の統一が達成されて、国民がすっかり政治的に『飽満』してしまったあとに、成果に酔いしれ平和に飢えたドイツ・ブルジョアジーの青年層は、『非歴史的』で非政治的な、一種奇妙な精霊にとりつかれました。ドイツの歴史はもはや終点に達したようにみえたのです。……われわれはもはや陶酔から醒めています。……実をいえばわれわれは、およそ歴史があらゆる世代に餞(はなむけ)として贈りうる呪いのうちでもいちばんひどい呪いを、生まれながらにして受けています。すなわち、政治的エピゴーネンであるという過酷な宿命を負わされているのであります。」

→最近のブルジョワ政治家は、第一の責任を負わねばならないにもかかわらず、エピゴーネン特有のちっぽけな遣り口をしている。(26)

・政治的未成熟の原因は、ドイツ・ブルジョアジーの非政治的な過去にある。

→政治的教育事業の遅れを取り戻すこと!

 

◆ドイツ・プロレタリアートの現状とそれに対する批判

・ドイツ労働者階級の最上層部の経済的な成長ぶり(27)

・しかし「かれらには、政治的指導という使命を帯びた階級につきものの偉大な権力本能が欠けている。」われわれは労働者階級にも政治的成熟を問うている。「およそ大国民にとって何にもまして破滅的な打撃は、政治的な教養のない素町人層によって指導されることであるのに、ドイツのプロレタリアートは未だに政治的な素町人根性を洗い落としていないからこそ、われわれは政治的にはドイツ・プロレタリアートの反対者であるのです。」

 

◆権力問題の意義

・イギリスでは「世界国家という地位のために、国家はたえず偉大な権力政策的課題に直面させられ、一人一人の国民が、日頃から政治的訓練を受けているわけです。ところがドイツでは、一人一人の国民が政治的訓練を受けるのは、国境が脅かされたときに突如として起こる現象にすぎません。──われわれの発展の成否もまた、果たして何らかの偉大な政策があらわれて、偉大な政治的権力問題の意義を、今一度われわれの目に焼き付けることができるかどうか、という点にかかっています。」(27-8)

□ここが問題。「権力問題」の重要性を焼き付けるためにはどれほどコストを払ってもかまわない、というウェーバーの態度。ここでは権力そのものが問題なのではなく、権力政策が意義において偉大であるということが問題である。「権力政策を偉大にするためには?」という「問題」による国民国家の統合。つまり、「これこれのようにすれば権力政策が偉大になる」というのではなく、「これこれにようにすれば権力政策の偉大さを問題にできるようになる」というわけである。理念目標と手段の関係ではなく、問題化と手段の関係である。

 

◆社会政策の目標:国家の社会統合

・「被支配者層の経済状態がどうか、ということではなくて、現在の支配階級および上昇しつつある階級に政治的能力を賦与することこそが、社会政策の問題にとっても究極の内容をなす。われわれの社会政策事業の目的は、この世を幸福にすることにあるのではなく、現代の経済発展のためにバラバラになった国民を、来るべき困難な闘いに備えて、社会的に統一することにある。」(28)

→巨大な政治的教育事業をおこなう必要性。

 

◆われわれの科学の究極的目標

・「わが国民の政治教育こそはまさしく、同時にわれわれの科学の究極的目標でなければなりません。過渡期の経済的発展は、自然的な政治本能を破壊させる危険をはらんでいます。……」

→柔軟な「幸福主義」政策がダメな理由は、それが自然な政治本能を崩壊させるからである。

 


 

◆政治を倫理に置き換えることはできない

・「政治的な理想を『倫理的な』理想で置き換えることができると思い、さらに、倫理的な理想と楽観的な幸福の希望とを無邪気にも同じものだと考えている人がいますが、このような考えを抱くのは、気質が柔弱になったせいであります。このような気質の柔弱化は、人間としては敬愛されてよいことでしょうが、政治的には俗臭紛々たるものであって、やはり政治的教育の反対物だといわねばなりません。」(29)

 

◆われわれの運命

・「はたして、われわれが行っている闘いは実を結ぶのか、後世の人々はわれわれを自分たちの祖先として奉ずるだろうか、こうしたことを自分では見届けられないのが、われわれの世代のさだめ(運命)です。」

 

◆国民国家の繁栄のためには若さと本能が必要である

・「自分自身と自分の理想とに忠実であることこそ青年の権利なのだ。人間を老いさせるのは歳月ではありません。自然がわれわれに与えた大いなる情熱をもって、物事を感じることができる限り、その人は若いのです。それと同じように、およそ偉大な国民というものは、数千年にわたる輝かしい歴史を背負っているからといって、その重みのために老衰するわけではありません。自分自身と自分に与えられた大いなる本能とを率直に信じて、それに従ってゆくだけの力と勇気を失わないなら、そして国民の指導層が、厳しい澄み渡った大気のなかへ毅然として立ち得るならば、その国民はいつまでも若いのです。」